楽しかった年末年始が終わり、また明日からそれぞれが作り出したルーティン生活が始まる。
みんななんでそんなに頑張れるのか、すごいなって思う。
みんなはこの世の優等生だ……えらいな……。
カテゴリー: That I thank
年始のご挨拶
今年もどうぞよろしくお願いします。
久しぶりに実家の横浜で賑やかに新年を迎えました。
年末に我が家に、『一年お世話になりました。』と、挨拶に来てくれた営業マンがいました。
彼は、彼女と同棲3年目の38歳、話の流れで家族の話題に……。
我が家は、10月に姪っ子が石垣島で結婚して↑大移動して、面白かった^^ゞ
86歳の母は、飛行機に乗れるかしら?耳がキーンとなるから嫌だと駄々をこね、そう思うからそうなるのだから、大丈夫と思いなさい!と説得(笑。
沖縄の結婚式の正装は"かりゆし"らしい……買わないと!
子どもはお揃がいいね!
86歳が着れる"かりゆし"はあるのか?
全員一緒の飛行機?
もし落ちたら誰が後始末してくれる?うんじゃ別々に……(笑
様々あり家族で大騒ぎ……。
9年前に父が亡くなり、家族が一人減った。
それから、甥っ子が結婚し女の子が二人生まれる間に、息子が結婚し孫が生まれ、今回姪っ子が結婚した、家族って減ったり増えたりするんだ。
減ると魂が冷たくなり、増えると魂が熱くなる。
この10年でそれを身近に感じ、家族は同じことで泣いたり笑ったり、怒ったりして騒がしいもんだ……
そんなこんなを小一時間ほど笑っておしゃべり。
彼は、『彼女と真剣に話します。』と帰って行きました。
そんなつもりじゃなかったんだけれど……(笑
70歳定年……。
政府の全世帯型社会保障検討会議にて、『70歳定年』が打ち出された。
要は、年金が破綻するのを見越して、みんな働いて税金を納めましょ。
違う言い方をすれば、『70歳まで年金は支給しません』、って事です。
医療や福祉政策のおかげで、誰でもが長生きできるようになり、人生100年も夢ではない時代の到来。
人生を100年、どのように働いていくか……。
今の仕事を人生100年のなかでずっとやって行く事ができるか……。
70歳以降の仕事を、自分で生み出せるのか……。
人生100年の人生、どう描いて行けばいいか……。
会社はあなたの人生を描いてはくれません、自分でキャリアを描いていかないと、食ってはいけない、という事です。
どこにも雇用されていない私は、棺桶に片足を入れていても、誰かのカウンセリングか、啓に手を支えてもらいながら誰かを癒しているに違いない、って話しているくらいだから、"定年"って言葉は無い。笑
魂が緒体を離れる寸前まで、みんなを笑顔にしたいと思っているから、こういった話を耳にするたびに、みんなそろそろ本気で考えないと大変な事になっていくよ、って思っていた。
そしてこういう状況になると、定年後に活かそうとして資格取得者も多くなる。
多くの人が今後の事を考えて、資格取得を始める。
みんなが同じような資格を持つのだ。
"資格を持っていたら仕事が来る"って、思っている人間にその資格は活かせない。
今後その資格を活かせるのは、その資格を活かして自分で仕事を作り出せる人間だけである。
"資格は取ってからがスタートだ"と、考えられる人間しか食ってはいけないのである。
そして、多大な利益を得るのは、資格所得に関わっている業者だけ、ここも忘れてはいけない。
さぁ、あなたは人生100年のキャリアを描くことが出来ますか?
という事でRavennaでは、"大人の職業適性検査"を実施しています。
個別はカウンセリングも含め、じっくり90分18,000円です。
先ずは、自分の持って生まれた資質、今までのあなたの人間関係の傾向、ジョブ・ミスマッチを起こしていないか、副業するならばどんな職業が合っているの、など、あなたの今後のキャリアに活かせる情報満載で提供しています。
定員4名のグループでは、それぞれの適性職業までを見出し、解説致します。
開催日時は1月13日(日)定員4名10時~12時。
料金は5,500円、3名以上申し込みで開催致します。
お申し込みは、kaoruko.ravenna☆gmail.com(☆→@)まで。
真剣に自分の人生キャリアを自分で描く事、大切です。
Sくんは歩き始めた。
知り合って3年のSくん。
初めて見た時、えっ、なんでここにいるの?その恰好じゃないでしょ、あなた……、って思った。
ちょっと話して、エネルギー体も触ってみた。
うん、少し時間が欲しいな……。
暫くして、Sくんはcoseさんとも出会った。
『薫子さん、わかっているでしょ?』と、coseさん。
だって、今じゃないもん。
そうだね、まだだね、って、二人で話してから、1年が過ぎた。
そのSくんが先日決心し、Ravennaの扉を叩いた。
もう細々言うまい。
『やっぱりそうだったんだ。』と、安堵の様子のSくん。
『今からでは遅くないですか?』
『これからでも大丈夫ですか?』
大丈夫だよ。
ずいぶん前から準備もしてたしね。
肉体や意識の連続性はないけれど、"魂"の連続性はあるから、いつから始めてもOK!
『そっか、よかった……がんばれます!』
時間を頂いてよかった。
じゃなきゃ、よかった、がんばれます!、とは言えないもん。
一緒にわたしも歩くよ!
でも、Sくんの少し後ろからね。
みんなに、ありがとう‼
14日、まちに待った KISSのLast公演だった。
Detroit Rock City で始まった!
周りの平均年齢は高い……なのに曲が進んでいっても誰も座りそうもない。
みんなが待ちに待っていた KISS だった。
私も待ちに待ったひとり。
1977年、武道館での初の日本公演に行ったのは14才の時……あれから42年。
ポールは私を知らないけれど、私はポールを知っているから、会いに行かないわけにはいかなかった。
それからはチケットを取るのに必死になった。
どこで公演するの?チケットはどこで扱うの?
ネットで調べてもまだ情報が錯綜していた。
そうだよね、どこも消防法やらで、"火"を噴くジーンシモンズを容易く受け入れる場なんてないもん。
そうこうしているうちに、盛岡タカヤアリーナでの公演が決定した。
それを聞いた時には、『タカヤアリーナの館長さん、ありがと!あなたは最高‼』と手を合わせ、正座して"ありがとう"と感謝した。
Last公演が盛岡である事を嬉しくて、レメディ教室か秘教のお勉強会の時に、ぽろっと言葉にしてしまった。
みんなが、え゛~~~~~~!、好きなの!? ʕʘ‿ʘʔ って、超驚いてた。
なかなかチケットの情報がないままに、新幹線で研修か何かで東京に向かっていた時、ふと、今日は森あっちゃん仕事かな?なんて思っていたら、いつものように、その森あっちゃんからLine。
見るとテレビの "KISS 盛岡公演先行発売" の写メが。
なぬ~~~!!
新幹線の中で、啓が必死になってアリーナチケットをゲットした。
「ありがと、森あっちゃん‼」手を合わせ、"ありがとう"と感謝‼
そうこうしているうちに12月14日。
武あっちゃんからは、『今日ですね、KISS公演!楽しんで来てください ❣』って、メール。
覚えていてくれたのね。"ありがとう"楽しんでくるね、と手を合わせ 感謝‼
タカヤアリーナまでは、駅に車を停めて臨時バスに乗って行こう、と思っていた。
そしたら柏田の真実さんが、「送り迎えしますよ、先生。」と……
なんだって!?"超ありがたい!"と、手を合わせ、感謝‼
こうして、いろんな思いやりの愛が集まって‼ KISS ‼との42年ぶりの再会が叶った。
みんな、ありがとう ❣
感謝‼
初めて会った時、 ポールは25才 、私は14才。
42年間、お互いたくさんの人に助けられて、がんばってこれたから、こうして昔と変わらずに、Love Gunの熱唱 ❣も出来た。
KISSの歌を歌いながら、泣けるなんて、私も年を取りました。
67才になったポールのぷりぷりのお尻を見て、『健康診断を怠わらずに、健康でいてください!』と、思わずにはいられなかった。
最後はこれでもかっていうくらいの、紙吹雪とテープが舞って、盛岡でのLast 公演は終わった。
たくさんの"ありがとう"が降って来たみたいだった。
今日の出来事
今日は朝から新車の浄め。
浄めの意味を口説く説明し、納得してもらってから行う。
一連の流れが終わっても、他の話に飛び火し大笑いの連発!
新車浄めにいらしたK子さんは、隠れ家のセラピーからRavennaを知り、Ravennaのプログラムを、有難いことに様々お試し頂いている。
New faceなのでRavennaのこと、カジュアル陰陽師の事がいちいち気になるらしい……(*^^)
今日は、あの事とその事を話した。
で、大笑い。
New face さんには、むかーし、むかーしの事から話す。
どこで?だれと一緒だった?それはどんな風だった?何歳のときの事?……と。
聴いている New face さんは、よほど楽しいのか大笑い。
どこまでわかって想像できているのか、わからないけれど私も笑っちゃう。
でも、話し終わった時、なぜか歯がゆい。
なんでだろう……
それはね、この世で起きた事ではないから、この世の言葉で表現できない、そのもどかしさを感じながら話しているから。
この世の言葉では説明できない…… (๑˃̵ᴗ˂̵)
でもね、ほんとうのスピリチュアル、オカルトを伝えるには今世で私がこの緒体を使って経験させてもらった事を伝えるのが手っ取り早く、理解が進む。
しかも笑いながら、生まれてきた意味や役割、カルマも知れる。
こんな一石二鳥な事をさせてもらっている私は、この使命を楽しみながら全うします……!(^^)!
ずっと変わらずそうなんだけれど、 New face が現れると気持ち新にです。
kamigoto
久しぶりの神事。
場所は、那須塩原。
今年4月にワンコと一緒に温泉に入れるという宿を見つけて行った場所が、なんと"那須塩原"。
"神事"って導かれます、先に連れて行かれるんです……。
今回は依頼半年前に、しっかりと"那須塩原"のお水、風に触って来ていました。
那須塩原のkamigoto内容は、exclusive writing atsuko.mが “わかる人にはわかる話し”でお伝えしています。
長い内容なので小分けです*^^*
"シュ、シュ"
「"シュ、シュ"、すりゃいいってもんじゃないのよ。」
最近のCleansingスプレー使用過剰が話題になった時のcoseの一言。
Cleansing になるような事はたくさんあります。
Ravennaのプログラムだったら、ヒーリング・カウンセリング・レメディ・秘教・瞑想……と。
受けた時はみなさん、ルンルンです。(場合より落ち込みます……。)
本人も感じ、こちらもそれを受け取れます。
そういうルンルンの方がいう言葉があります。
「Ravennaの玄関を出ると汚れる……。」
『あは、そうなんだ。だから、"シュ、シュ"したくなるのね。』
「そうなんですよ!」
で、みんな、『そんなんじゃ、だめでしょ!』って、叱られる。W
15年近く叱られ続けている方もいますね^^ゞ
どうしたらいいのでしょうか?
受けただけ、学んだだけ、になっているのです。
その後に、みなさんとどれだけのコミュニケーションカウンセリングをしていますか?
そのコミュニケーションカウンセリングの中では意識の変化を促すために、笑ったり叱られたり泣いたり思案したり、様々な事に気づかされたり、してませんか?
是非とも、 受けただけ、学んだだけになってしまわないように、それを活かして以前とは違う意識をもって日々、生きて行って欲しいのです。
そうすることにより、今までとは違う意識層にとどくはずです。意識層が変わるという事は、意識に変化があったという事、多少なりともエネルギー体がcleansingされた結果です。簡単に伝えると、トラブルが少なくなり、悩むことなく毎日過ごせるという事。他の伝え方だと、この世に生まれたきた意味や目的が徐々に理解でき、その事に向かって勇往邁進、という事です。
Cleansing は、"シュ、シュ"だけではないという事、努々お忘れなく。
キャリア構築
Made to order Soul cleansing が終わりました。
キャリアコンサルタントとしても仕事を担っているので、この企画に関わるセラピスト二人のキャリア構築の機会でもありました。ふたり共本職があります。
人口減少に伴い労働力人口の減少が進んでいる現状で、今までと同じことをしていても、今の生活がいつまでも続くとは考えられません。人生100年時代の到来により、今の仕事を元気で90過ぎても手掛けられる人がどのくらいいるのでしょう。今の仕事、いつまで意欲をもって働ける?。定年後に新しい仕事を身に付けるなんて、体力・思考的に考えてもムリ。やった事のない事を定年真近から始めても、ものになるかわからない。じゃ、今、興味あるものに少しづつ手をかけてみない?と、キャリア構築の提案を日々、二人にも伝えていました。
もうちょっと付け加えると、元気で社会のために仕事ができることは、自分や家族のためでもあり、日本の社会を作っているとも言えます。なんやかんや言ったって、税金を払わなきゃならんのです、私たち国民は……。それで日本が動いているのですから。自分が今、何が出来るか、考える必要もあることもRavennaにいらっしゃる方には、伝えています。癒しの場なのにね Ravenna ……^^ゞ
Ravennaの飲み物は、手作りでおいしく元気になると皆さん仰います。
カップもその方のその日の雰囲気からチョイスしています♡
母
自分にも孫ができる年齢になり、わが母も気が付けば85歳。
母は22歳の時、伊勢から二畳もある大きな桐の箪笥に、詰められるほどの反物と着物を入れて横浜に嫁入りした。
神社、宮大工、農業と母の実家は忙しく、母は二人の乳母のもとで育てられながら、踊りや三味線の習い事も嗜んだ。
そう、私からは想像もできないほどの、生っ粋のお嬢様だ。
桐の箪笥は、宮大工の彼女の父親のお手製だった。
嫁いだ先は魚河岸屋で寿司屋、何もかもが畑違いの中で、嫁としての日々に心休まらず、桐の箪笥を眺めながら床につくのが何よりのやすらぎになり、たくさんの涙を流した、と話してくれた。
ある日、何が癇に障ったのかわからないが、義理の父にその桐の箪笥と反物、着物をすべて燃やされ、旧姓、野村美和子は消えちゃった、と教えてくれた。
彼女の里帰りは父が運転する車か新幹線、行くのはいいけれど、帰りはお母さんと離れがたく辛くて、小さくなっていく手を振るおかあさんの姿が忘れられない、今も見える、って目を細くする。
こんな母の切ない思い出話を聴かされて、母にどういう反応をしていいかわからなくて東日本大震災以来、横浜の実家から帰る間際には、母を必ずhugしながら"おかあさん、ありがとう"を必ず、するようになった。すると母は「あと何回こうしてかおるこちゃんを抱きしめられるのか……ありがとう。」って言う。
その後はいつも顔がぐちゃぐちゃになってしまって、タクシーを待たせている時なんかは、えらく大変になる。
父に恥ずかしさを忘れ"ありがとう"って言えたのは、父の意識がうつらうつらし始めてからだった。こうして母に正面切って"ありがとう"って言えるように教えてくれた母のところに生まれてきて、ほんとによかった、と思います。
みなさんは大切な人にきちんと"ありがとう"って伝えていますか?