あなたは今、誰かといて、イライラしてきてムカついてきて、なんだでこいつは、こうなんだ!、クーってなって握りっこぶしを振り上げたいくらい、怒っています。
どうしてこの人、こんなに文句言ってくるんだろう……
どうしてこの人、こんなにムキになって言っているんだろう……。
どうしてこの人、こんなに癇に障る事、言うんだろ?……。
どうしてこの人、これを今してんの?……
なぜこんなに、叱られなきゃならん?なんか、やっちまったかぁ!?
拳を振り上げない人は、相手を前にして今、こう考えられています。
相手の言動・行動に対し、ちょいと立ち止まれれば、我(われ)が平和になるんだけどな。
しかし、ちょいとも立ち止まれない感情はマッハで"個我という傲慢な我(われ)"を易々と飛び越え、自分勝手な行動に素早く移り突っ走る=3
もしかして、怒っちゃいけないとか、イライラしてはダメとか思い、窮屈になっていたら、ごめんなさい。そういう事ではないです。
怒ったっていいんです、イライラしてしてもいいんです、クーってなって握りっこぶし作り、ワナワナしてもいいんです、上げる寸前になってもいいんです。
だって私たち"地球"に生きている人だから仕方ないんです。
その感情を表現してはいけない具現化してはいけない、という事を伝えたいのです。
怒りの感情を表に出すと、一瞬の爽快感は感じるものの、すぐさまスッキリは消え去り、あ~なんであんな酷い事を口走ってしまったのか、言わなきゃよかった、しなきゃよかった~、とやってしまった取り返しのつかない言動や行動に反省します。
そう、この反省をしている感情であれ行動こそが、エネルギーが汚れてしまった事に気づいている、って事、気づいている行為なんです。
人は、サル目(霊長類)ヒト科のうち、直立二足歩行を行い著しく発達した脳を有する動物ではありますが、反省も何も無し、相手に対しての感情も湧かないのであれば、それは動物人間という言葉が当てはまってしまう……。
少年院の少年達と向き合い8年、面接の時に必ず彼らに伝えてる事があります。
世の中できちんと生きている人は、何かにつけて理性をもって辛抱しているんだよ。
「えっ!そうなの???」
みんなが辛抱しきれなくて、自分の辛抱出来ない感情に素直になっていたら、その辺で毎日みんな血ぃ流してるわ!そこいらじゅうで喧嘩してる。
「みんな、辛抱してたんだ……そうか……そうなんだ……知らなかった。」
様々人に環境はあるけれど、目の前にいる少年は"辛抱"出来ない。
だから、彼らは少年院に入って更生を通して"道徳"を知り、社会復帰して行きます。
全ての感情を、じっくりと味わうことができれば、我は魂に従い始めるんだけどな……
今日は辛抱……