足の手術からもうすぐ3か月、登山靴を履くことが怖くなくなった。
久しぶりの木々の間を歩くと、固い登山靴でもフワフワとした山の感触が伝わり、空間からは清い声も届いてくる。
みんな生きている、自分がその歩みを止めない限り呼吸をしていてもいい。
人が呼吸する、それだけでも神さまは嬉しいんだから。
足の手術からもうすぐ3か月、登山靴を履くことが怖くなくなった。
久しぶりの木々の間を歩くと、固い登山靴でもフワフワとした山の感触が伝わり、空間からは清い声も届いてくる。
みんな生きている、自分がその歩みを止めない限り呼吸をしていてもいい。
人が呼吸する、それだけでも神さまは嬉しいんだから。
カーテンを開け、カレンダーを正し、サラッと掃除、CDをセットしアロマを焚く。
霧になり香ってくる香りはRavennaを始めてから変えた事がない、ラベンダーとオレンジ。
私を癒してくれるこの香りに……"ありがとう"、と毎度つぶやく。
20代後半から30半ばのメンタルで一番きつかった10年間もこの"ありがとう"の言葉と共に蘇る。
小さくころころしていた息子、必死になり歯を食いしばり生きていた啓の姿、笑顔も蘇る。
そんな中で訪れたバッチフラワーレメディ研究所。
白い木枠の扉を開けた時、私の全身を一瞬で優しく包み抱えてくれたのが、この香りだった。
理由などない、『ここで私は元氣になる、がんばれる。』、と感じた。
焚く度にここまでいちいち思い出すと、厄介な氣分になるが、そんな時は
大学生の啓の顔を思い出し、くすっと笑ってやり過ごす。
今朝は、曇り空にクルミの実が風でゆらゆらしてしている姿を見て、たくさん思い出してしまった。
自ら命を切った人がいると、心の相談の電話番号が映し出されるが、いつも違和感を感じる。
公共の施設のトイレに入ると、目に入る所にそれらの番号が書かれた張り紙も見受けられる。う~なんだかなぁ……と感じる。
今日も朝からそんなニュースが流れてきていた。
『そこに電話すら出来ない人がそういう事に至ってしまうのに、情報を流す事しか出来ないんだよね……』
「そうだよね、誰かに話せればいいのにね。」
『それが出来ないから、このような事になっちゃう。』
「なんとかなんないのかな、いつも思う事だけど。」
『"話す力"がないんだと思う。"聴く力"が必要なくらい"話す力"も必要と思う。』
「そうだね、今こんな事で苦しんでいるんだ、どうしたらいいのかな?ってね」
『普通に自分の思いを話せればいい事なのだけれど、それが出来ない。産業カウンセラーの勉強の時に、"聴く"ってトレーニングは嫌という程やって、聴けなかった人も何とか試験にパスするくらいに上達するから、"話す"って力もトレーニングする必要があると思う。』
「Ravennaで、ずっとやっていることだね。」
『いえいえRavennaでは、わからない事があったら言って!勝手に自己完結しないで~だよ。あれ???これも"話す力"とも言えるわ……』
おっと、もうこんな時間!
啓ちゃん、今日はごみの日だよんヾ(๑╹◡╹)ノ”
あなたは"話す力"、持っていますか?
「おもちゃどこよ」『えへへ……^^♪』
* 大人の道徳
感情を語る。
・24日 木曜日 13:30~15:00
・25日 金曜日 19:30~21:00
*花の療法・バッチフラワーレメディ教室
タイプレメディの探求。
・14日 月曜日 12:00~13:30
・29日 火曜日 19:00~20:30
*瞑想
瞑想の基本的目的を知る。
・14日 月曜日 10:30~12:00
・24日 木曜日 10:00~11:30
・30日 水曜日 19:30~20:30
ヨガマット・ミネラルウォーターはこちらで用意しています。
リラックスできる服装でお越しください。
全プログラム、楽しくきちんと生きたい方を対象にしています。
❤ 2017年以降カウンセリング・リラクセーションを受けた方対象。
❤ Ravennaに通っている方のご紹介者。
❤お問い合わせ、申し込みは、 kaoruko.ravenna☆gmail.com
(☆を@に変えお問い合わせください。)
blogを書くとコメントを頂ける。
とても嬉しい、ありがとう、と心から思う。
わくわくしながらそのコメントを読み進むと、感謝が並び、その後には謝罪が並ぶ……
ちょっとこれにまいっていた。
なぜにそんなに謝るの?、そんなに悪い事をしているの?あなた……ならば……って思う。
この世に生まれてきている事の真の意味を理解していれば、違う言葉が並んでもいいのにと……。
でもこれは私自身の考えであり、他者は違う、しばしの葛藤……。
ならば私の伝え方を変えよう、変える事にしよう。
8月のレメディ教室での事です。
仕事場で家庭で、人が居るあらゆる場で何か自分に不都合、不愉快な事が起こると、それは自分ではなく周りが悪い。そしてそれに関わっている人を何とか変えようとする。
「自分以外の人が悪いから、その人を何とか変えようとして、頑張っていました。」
『えっ!』
「今でも氣を付けないとそうしてしまいます。」
私には理解できない。
何か事が起こったら先ず、私?私が何かした?どこでやらかしてしまったのか、と考えるけど……なんで世の人は人のせいにするんだろう……わからない……わからない。。。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
旧訳聖書ヨハネによる福音書第8章3節~11節に、人を裁く権利や資格を持つ者はいない、という事が書かれています、関心のある方はどうぞ。
今日は75回目の終戦記念日。
母のおじさんが特攻隊で飛び立つ前日に、真っ青な上空を旋回し飛び立って行った話、そのおじさんが亡くなったことを母に夢で告げて来た話を毎年この時期に思い出す。
若くしてお国のために自分の命を捧げるって、今の自分の事だけを考えて生きていく事を
許されている私たちには、想像もつかない。
『自分の命をお国に捧げた兵隊さんがたくさんいて、今生きている事が出来るんだよ。』と、戦争で自分の兄(母の伯父さん)を亡くしたおばあちゃんの言葉は、様々な事柄が訪れる私の生き方に、大きく意味を投げかけてきた。
自分のため、他者のため、地域のため、岩手のため、国のため、世界のために……と、どんな事にもこのように考えが膨らんでいかなければ、何一つこの世は変わらない思う。
自分に出来る○○のためにを意識して呼吸をし、今日も生かされている事を実感する……。感謝、合掌。