自分にも孫ができる年齢になり、わが母も気が付けば85歳。
母は22歳の時、伊勢から二畳もある大きな桐の箪笥に、詰められるほどの反物と着物を入れて横浜に嫁入りした。
神社、宮大工、農業と母の実家は忙しく、母は二人の乳母のもとで育てられながら、踊りや三味線の習い事も嗜んだ。
そう、私からは想像もできないほどの、生っ粋のお嬢様だ。
桐の箪笥は、宮大工の彼女の父親のお手製だった。
 嫁いだ先は魚河岸屋で寿司屋、何もかもが畑違いの中で、嫁としての日々に心休まらず、桐の箪笥を眺めながら床につくのが何よりのやすらぎになり、たくさんの涙を流した、と話してくれた。
 ある日、何が癇に障ったのかわからないが、義理の父にその桐の箪笥と反物、着物をすべて燃やされ、旧姓、野村美和子は消えちゃった、と教えてくれた。
 彼女の里帰りは父が運転する車か新幹線、行くのはいいけれど、帰りはお母さんと離れがたく辛くて、手を振るおかあさんの姿が忘れられない、今も見える、って目を細くする。
 こんな母の切ない思い出話を聴かされて、母にどういう反応をしていいかわからなくて東日本大震災以来、横浜の実家から帰る間際には、母を必ずhugしながら"おかあさん、ありがとう"を必ず、するようになった。すると母は「あと何回こうしてかおるこちゃんを抱きしめられるのか……ありがとう。」って言う。
その後はいつも顔がぐちゃぐちゃになってしまって、タクシーを待たせている時なんかは、えらく大変になる。
 父に恥ずかしさを忘れ"ありがとう"って言えたのは、父の意識がうつらうつらし始めてからだった。こうして母に正面切って"ありがとう"って言えるように教えてくれた母のところに生まれてきて、ほんとによかった、と思います。

みなさんは大切な人にきちんと"ありがとう"って伝えていますか?

私の30年後……w

“母” への2件の返信

  1. 私は大切な人にちゃんと”ありがとう”を伝えているだろうか?、、、恥ずかしいですが、私は伝えられていない。そう思いました。

    先生、いつも叱咤激励ありがとうございます。

    先生のお母様の大変な経験に驚き、でも私の30年後の写真に笑いました。

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