どのくらい前に亡くなったかはわからないけれど、私は57年前の3月13日に生まれて来た。
前の体での役割が終わり無くなったから、生まれて来れました。
次の体でなければ刈れない"たった一つのカルマ"を刈りに、この世に戻ってきました。
どの男女で作られた体ならば、前世で残った"たった一つのカルマ"を適切に刈ることが出来るのか、ずっとこの世をあっちから眺めていました。
何歳の時にそのカルマを刈ることが出来たのか、まだ刈れていないのかもしれない。
刈れないうちに、次のカルマを蒔きそれを刈れる時もあるけれど、刈れてないのにまたカルマを蒔く。
"蒔きっぱなしカルマ"は、20代後半から30代中盤までの歩みをかなりややこしい物にしていった。
そんな中でも、蒔いたカルマをすぐ刈ることも出来ていた。
すぐ刈れるカルマにはある種の共時性を、感じるだけの存在が伝えてきていた。
大きな共時性は、前世で積んできた"善のカルマ"のおかげでもある。
どんな時代でも、辛抱することはより良き未来を作ることに繋がっている。
蒔いては刈り進化し、大いなる存在を感じ、知る連続でここまでの生を紡いでいる。
現世的な表現で我が家系を説明すると、母の実家は神社、かの有名な安倍晴明の師匠、賀茂忠行が創建した神社だ。
平安時代前期からのそのエネルギーの流れは今も絶えることはなく、代々、伊勢神宮に陰陽師として上がっていた宮遣いの家系である。
高い所から流れてくる、清い尊いエネルギーは枯れる事はないのである。
その清い尊いエネルギーの最善の用途がわからず長い間、迷走した。
そのエネルギーに少しでも近づこうとすると、年単位で家庭に身体に無理難題(家庭消失・膵臓解ける・耳が聞こえない・失明……)が降りかかってきた。
そしてそれに時間をかけて翻弄される。
最後は観念しきちんと向き合うようになるが、そこに着地するまでひと時抵抗したり、府て腐ったりもした。
それは遠回りのように感じるが、実はそれが一番の近道だった事を、手厳しいやり方だったが尊い高い方々は教えてくれた。
向き合うのか、放り出すかのつばぜり合いがいつも行われていたようだった。
6年前、宮古島で啓示を受け始まった神事。
奇跡なんてきれいな言葉ではない、人知を超える厳しい出来事と共に進んだ。
それに出会う度、やっぱり居る、見ている、感じるだけの存在が確実に手に触れられるくらいまで、そこに居る事を深く刻まされる旅になっていった。
13も年下の啓さんの存在は、この頃明確になってきた。
薫子から流れる癒しの力は、唯一無二です。
これを私が否定すると、わが一族は無いものになってしまう。
Ravennaでのリラクセーションは、エネルギー調整という言い方もあるが、あなたの全ての偏りを整えています。
体でも心でも魂でも、自分の偏りがわかっていれば、エネルギーが整ってくる変化を手に取るように実感できます。
進め方は、体を触るような事は一切無し、エネルギーだけを触り、その時間の中でたくさんの会話をあなたとします。
カウンセリング・リラクセーション・バッチフラワーレメディ……
Ravennaのメニューは入り口は違うけれど実は全部同じ、あなたの偏りを整えていました。
ごめんなさい。
分けて表さないと、何ですか?それ・どんな事をしますか?・なんで同じなんですか?って、いちいち気になる方もいるので、現世に合わせこうしています。
病気はエネルギーに何らかの故障が起こっていることを伝えて来ています。
身体はエネルギーの鏡の役割です。
エネルギーの偏りを受けて体が表現しているのが、病気として表れてきます。
現世社会は、身体の改善を求めているので、薬も医学もそれに伴い発達しました。
身体は魂の乗る器だから大切、私もホームドクターを持ちたくさん助けてもらっています。
医者ではないので、言葉は気を付けなければなりません。
Ravennaで癒しを受けた人は、〇〇〇〇、ってびっくりして喜び、ありがとう!って歓びを身体で表します。
素直で謙虚な氣持ちでありがとうを言葉にできる方は、Ravennaの空間が善のエネルギーに満たされている事に氣づくでしょう。
感じられない人もいます。
「友達は感じるのに私が感じないのは、あなたが手を抜いているからだ。」、とびっくりするような事を言った人もいました。
そうじゃないのにな……あなたのエネルギーの偏りが……なんて、そのような表現をする人に通用するはずがなく、上手になだめたり、謝ったりした。
感じられない人は、回数を重ね徐々にエネルギーを上げていくので、少し時間が必要になります。
みんなのエネルギー調整はできるけれど、私は私に出来ません。
それは、他者のために授かった"奉仕の力"だからです。
"魂"の引き上げが始まるまで、がんばれます。
今まで表立って伝えられなかった話を、言葉を並べ伝え迎えた57歳の誕生日です。
みなさん、ありがとう。感謝。