みなさん、大丈夫でしたか?大きかったですね。
被害の大きかった方々に、祈りをささげた後に私は、空に向かって神棚に向かい、「いい加減にしいや!私にやることもっと投げて来い!」、と雄叫びをあげました。
話し方の勉強会blogを書き終えて♪ルンルン♪と満足してる時に、私の大っ嫌いな、たぶん誰でもそうだけど、緊急地震速報がパソコンの横に置いてあったスマホから鳴り響きました。
耳に入ってくるだけで、ほんとに何も出来ないなと感じました。
仁王立ちで地震を待っている事しか出来ない、すぐ行動してきたのは、ワンコの政之助でした。
さっきまでぐうぐう鼾かいて寝ていたのに、とても13歳のおじいちゃんの動きとは思えないほどの飛び上がりでジャンプして抱き着いて来ました。
彼を抱っこしながら地震を感じる事しかできなかった。
でもひとつ出来た事、離れて暮らしている横浜の母に政之助を抱っこしながら、ゆれながら『めちゃ揺れているけれど、啓ちゃんもいるから大丈夫!心配しないでね。』と、電話は出来た。
これは東日本大震災の教訓から見つけた行動の一つ。
テレビを付けると気象庁の会見があり、いつもは男性なのに今回は女性、しかも係長クラスでない方が、地震のメカニズムについて、今後の注意点を伝えていた。
こんなところにも、森さんの発言の影響力がこれ見よがしに出ているのか?と、ちょっと嫌気がさした。
地震報道を聞いていると、"東日本大震災から10年もたっているのにその余震"って言葉に心がざわついた。
人にしたら10年ひと昔という言葉があるくらいだから、10年の重みは感じる事はできます、でも地球にしたら、たった10年です。
子どもに例えたら、赤ちゃんが立って歩き言葉も発し、もういっちょ前になる年月です。
でも地球にしたら10年なんて、フット息を吹きかけれるフ、くらいなのに……フ、も無いかもしれない。
人は地球の壮大の歴史に対しても、宇宙に対しても中心的な存在としての発想しかできない。
だから、色々な事が腐敗してきているのに……
Ravennaにいらしている方だけでもいい、自分中心はもう止めて。
久しぶりにNHKの大河ドラマを見はじめた。
近代日本の道を作った渋沢栄一を描いた「青天を衝け」だ。
昨晩のシーンで、自由奔放でどんな事にもなんで?なぜ?と、好奇心いっぱいの栄一に母が「栄一だけが嬉しいだけではだめ、みんなが嬉しくならないと」(こんなような事)、これを聴いた栄一は、自分だけではだめなんだ、"みんなのために"を考えないといけないんだ、というシーンがありました。
これを見ていて、涙がとめどなく流れてきました。