ひとり息子の子育てが終わって10年、孫が生まれ自分の子育てを思い出し、心の中で謝ったり自分を褒めたりしている。
自分が親にされて嫌だったことは、しないように、言わないようにした。
息子と私は別人格、私がされて嫌だった事が、彼が嫌とは限らないので、その都度確認した。
小さなころからどんな事もそうしていた。
勉強に関してもそうだった。
彼に、「勉強しなさい。」、という言葉を言った記憶はない、その言葉は嫌いだった。
彼にはこう伝えていた。
「将来、何になりたいの?」
「その仕事に就くにはどうすればいいのかな?」
「それには今、何をしたらいいかな?」
中学生までそう伝えた。
高校生の時とうとう、「勉強しろ、ってなんで言わないんだ!」、少し声を荒げて言われた。
高校に入ってからは、彼が欲した時にだけ応えるようにしていた。
ひとつ言葉で伝えていたのは、「どんな事があっても、お母さんはお前の味方。これだけは覚えておいて。どんな時もだから。」
親は子を産み育て、親にさせてもらう。
はちゃめちゃな私だったから、息子も大変だったと思う。
子育てしていると思っていたけど、親育てを息子にしてもらい、人として育った時期だった、息子には感謝しかない。
家庭を持つようになった26才の彼から、
「自分で考える人間になれたのは、勉強しろ!って言われなかったから。」
「お母さんは、どんな時でも俺を信じてくれた。たくさんの辛い事があったけれど、お母さんの背中を信じて、見てがんばれた。」
人が"互いを信じる"には言葉と時間が必要だ。
日本を今、混乱させているのは、日本のリーダー。
彼と国民の信頼関係が出来ていたら、今の騒動がこれほど酷くはならなかった。
信頼関係を作って行かなければならない時に、あなたは何をしていたのか?
そして、伝え方も一方的、それではあなたを誰も信じない。
「自分の責任感のなさで、リーダーシップを取れなくて、こんな事になってしまった。初めての事なので、迷惑をかけてしまった、申し訳ない。今の状況を国民みんなで乗り越えるために、協力してください、お願いします。」
こちら側に立ち考え、国民の目線に立っていたら、こんな言葉が並んだのではないか?
そうなれば、「そうか……きついな……でもそういう事なら仕方ない、政治家も初めての事だ、がんばらないと私」、となり、私たちは一人ひとりの立場で考え、行動も変わっていたのではないだろうか?
でも、彼はそう言わなかった。
そう言わなかったから今の騒動は仕方ない、と思っているのなら、それでは彼と同じ責任感のない、身勝手な人間になってしまう。
留守番する子供のために一週間のお昼ご飯を作る時も、買い出しに行くのも、預け先に翻弄する時も、「大変だ!大変だ!まったくもう!こんな事になって」、とイライラではなく、こんな時にこそこの事を通して、学べることを探し、子が学べる良いチャンスと考えたり、大丈夫だろうか?という不安や心配を子に伝えるのではなく、「日本中が大変な時だから、みんなでがんばろう!」、と伝え、子が持てる責任感を育てられる時、と考えたり……。
時差出勤やテレワークで新たな価値観に触れられるかもしれない。
疎遠の隣人関係にも変化が起こるかもしれない。
こういった思考になれば、「お米、トイレットペーパー、生理用品、おむつが陳列棚からこのように姿を消してしまっています!」、というマスコミの偏った伝え方の報道に踊らされる事は少なくなってくるはず。
今回の新型コロナウィルスは、たくさんの事を、私たちに投げかけているよ。